■なんだろう? 第7回 「アラブの至宝(しほう) その2」
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アラブの至宝(しほう):その2
アジアやヨーロッパ、アフリカなどさまざまな地域(ちいき)の結び目にあるアラブの国々。
そのアラブの人々の生活や、ほかの国の人々と交流する中から生まれたアラブの美術品(びじゅつひん)。
今回は、そのアラブの人々の宝(たから)ものを紹介(しょうかい)します。
宮廷(きゅうてい)の美術(びじゅつ):美と権力(けんりょく)
(サファヴィー朝とオスマン朝の美術)
イランやトルコのイスラム王朝の君主たちの優雅(ゆうが)な生活
16世紀からトルコやイランで栄えたイスラム王朝の君主たちは、巨大(きょだい)な経済力(けいざいりょく)・軍事力を誇(ほこ)りながら、都市建設(けんせつ)をすすめ、文化を保護(ほご)しました。
宮廷(きゅうてい)は、華(はな)やかなタイル装飾(そうしょく)や絨毯(じゅうたん)などで彩(いろど)られました。花々が咲(さ)きみだれ噴水(ふんすい)をもつ美しい庭園では、即興(そっきょう)の抒情詩(じょじょうし)を楽しむ会が催(もよお)されました。
宮廷の美術品の中には、こうした詩が記されたものもあります。
これらの美術品から、当時の華麗(かれい)な宮廷生活の姿(すがた)をうかがい知ることができるでしょう。
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白地多彩野宴図組タイル
(しろじたさいやえんずくみたいる)
(部分)
イラン(サファヴィー朝)
17世紀
陶製(とうせい)
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王朝が美術(びじゅつ)を保護(ほご)する:オスマン朝
中国磁器(じき)にひけをとらないイズニク陶器(とうき)
1453年ビザンツ帝国(ていこく)を滅(ほろ)ぼし、その都コンスタンティノープルをイスタンブルに変えてオスマン帝国の繁栄(はんえい)の扉(とびら)をあけたスルタン=メフメト2世の時代、
トルコ産の陶器(とうき)に劇的(げきてき)な変化が生まれました。
それまで高級品として需要(じゅよう)が高かった中国の磁器(じき)に対抗(たいこう)して、
メフメト2世がアナトリアの陶器(とうき)生産の中心地だったイズニク窯(よう)に宮廷(きゅうてい)の資金(しきん)をつぎこんで、品質(ひんしつ)を改良させたためです。
白地に藍色(あいいろ)で彩色(さいしょく)された中国磁器にほとんど負けない硬質陶器(こうしつとうき)が生まれました。やがて色彩(しきさい)も、明るいトルコブルーや「トマト赤」と呼(よ)ばれる赤が加わって多彩(たさい)となり、
デザインもチューリップやカーネーションなど花模様(はなもよう)が人気となりました。
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白地多彩花文タイル製天板付卓
(しろじたさいかもんたいるせいてんばん
つきたく)
トルコ(オスマン朝)1560年ころ
木象嵌(もくぞうがん)[象牙(ぞうげ)・
螺鈿(らでん)]:陶製(とうせい)
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イスラムと中国・ヨーロッパの美術(びじゅつ)交流
モノに見る、国々のあいだの文化交流
イスラム教徒がつなぐグローバル・ネットワーク
中央アジアを横切るシルクロードは、中東(ちゅうとう)と中国とを結び、エジプトのスエズやイラクのバスラのような港町は、
インド洋を越(こ)えて東アフリカ、インド、東南アジア、中国と取り引きする貿易(ぼうえき)で繁栄(はんえい)しました。
また、イスラム世界の海=地中海(ちちゅうかい)はヨーロッパがイスラムの都市文明を取り入れるメイン・ルートでした。
これらの貿易や文化接触(せっしょく)のおかげで、陶磁器(とうじき)や、絹(きぬ)ビロード、象牙(ぞうげ)や木工細工(もっこうざいく)といったさまざまな美術品が流通し、職人(しょくにん)たちの交流も行われました。
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白地藍彩青花文壺
(しろじらんさいせいかもんつぼ)
中国[元(げん)] 14世紀
磁器(じき)
●口縁(こうえん)は真鍮製(しんちゅうせい)
イラン(カジャール朝) 19世紀
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草花文絹織物(そうかもんきぬおりもの)
トルコ 17世紀末期
絹(きぬ)、金銀糸
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絹織物(きぬおりもの)
トルコ 17世紀
絹(きぬ)
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ここで紹介(しょうかい)したものは、すべてイギリスのロンドンにあるヴィクトリア・アンド・アルバート美術館(びじゅつかん)のイスラム美術コレクションが所蔵(しょぞう)しているものです。
これらをはじめ、たくさんのアラブの宝(たから)ものを展示(てんじ)する美術展(びじゅつてん)が、東京 世田谷区(せたがやく)にある世田谷美術館(せたがやびじゅつかん)で行われています。
期間は2005年10月1日から12月4日までです。
アラブの宝ものに興味(きょうみ)を持ったら、美術展にも行ってみましょう。
美術展は終了(しゅうりょう)しました。 |
協力:モハメッド・ジャミール
(アブドゥル・ラティフ・ジャミール社 社長兼CEO)