その1
昔々、アラビアのさばくに住むサアドというベドウィンの若者(わかもの)がいました。サアドは母といっしょに、古ぼけたテントで暮(く)らしており、かの女を大変したっていました。
とても寒いある夜、親子が燃(も)えさかる火のそばにすわっていると、母はこう言いました。
「息子(むすこ)よ、わたしはもうすっかり年老いてしまって、いつじゅみょうがつきるかしれない。だから死ぬ前に、今までおまえにかくしていたことを話そうと思うのだよ。おまえのなくなった父さんと約束したことをね。」
そう言うとかの女は、自分の服から折りたたんだ布(ぬの)切れを取り出して息子に見せ、こう続けました。
「さあ、これをおまえにわたそう。この布切れには、さばくのおくにある秘密(ひみつ)の貯水場のありかが全部かいてあるんだよ。おまえの祖先(そせん)はみな古代の昔から、これが他人の手にわたらないように一生けん命に守ってきたのだから、おまえもけっしてなくさないでおくれ。」
サアドは布切れを受け取り、それを自分の帯の中にしまいこんで言いました。
「お母さん、これは必ず無事に守りますからどうか安心してください。けれど貯水場がどうしてそんなに大事なのですか? ここのオアシスにはたっぷりと水があって、何も困(こま)ることなんかないじゃありませんか?」
すると母はこう言いました。
「雨が降(ふ)らなくなれば、オアシスの水がかれることがある。それに戦(いくさ)が起こってせめこまれた時には、わたしたちはみなさばくのおくへとにげこんで、敵(てき)をしゃく熱のさきゅうへとおびき寄(よ)せるの。砂(すな)の下にかくされた秘密(ひみつ)の貯水場を知っている味方の戦士たちは、そこでひそかにのどをうるおしながらいつまでだって戦が続けられる。いっぽうの敵(てき)は水のありかを知らないものだから、焼けた砂の上でつかれ果てて、ついには戦が続けられなくなるというわけなのよ。」
それから数日が過(す)ぎ、サアドの母は神に定められた時をむかえて、この世を去りました。サアドは冷たくなった母の体を土にうめ、自分を苦労して育ててくれた母に神のおじひがあるよういのって、テントへともどりました。一人きりになったサアドをなぐさめてくれるのは、風や砂、そして空や星だけになりました。
時がたつにつれ、サアドはそんなさびしさにたえ切れなくなり、心の中でこう言いました。
「ここに一人きりで残って、何になるのだろう。毎日毎日、らくだの乳(ちち)をしぼり、ナツメヤシの実を集め、家ちくの世話をして時が過ぎていく……。それよりも、いっそ家ちくを売りはらって、神の広い大地を旅してはどうだろうか。そうすれば、ここより多くの幸運にめぐり合い、いろんな国や人々について見聞を広め、知識(ちしき)を身につけて、きっと役に立つ経験(けいけん)が積めるにちがいない。」
数日後、サアドは自分の持物をまとめて荷造(にづく)りをし、そしてオアシスから遠くへと家ちくたちをかり立てました。そして夢(ゆめ)を実現(じつげん)すべく神に身を任(まか)せ、いよいよ旅立ったのです。
しばらく行くとサアドは、かれた川やさきゅう、そして古戦場をも目にしました。
時には激(はげ)しい砂(すな)あらしがふきあれ、風でばらばらに散ってしまわないように家ちくたちを輪の中に集めて、あらしが去るのを待つこともありました。
また火をたいて、乾(かわ)ききったさばくの厳(きび)しい寒さをしのいだ夜もありました。そうしているうちにサアドは、やっと、ナツメヤシの木のある岩場に囲まれた、ある谷間に着きました。
そこでサアドは家ちくたちを集め、大きなナツメヤシの木かげで休むことにし、そしてそのまま深いねむりに落ちたのです。
やがて何か気配を感じてふと目を覚ますと、激(はげ)しい砂(さ)じんが谷間の先にまい上がっているのが見えたので、サアドはあわててけんをぬき、息をつめてそこから現(あらわ)れる何かを待ちました。するとやがて砂じんの中からキャラバン隊が見えてきました。
その先頭には、すさまじい勢(いきお)いで地をけって走るしゅん馬に乗った一人の男が見えました。
男はサアドに近付くとつなを引きしぼり、馬を止めてこう言いました。
「若者(わかもの)よ、ここで何をしているのです? そしてどこに行くのですか? わたしたちの助けは必要ありませんか?」
そのやさしい言葉を聞いてサアドはほっとしてこう答えました。
「わたしはどこか家ちくたちを売りさばけるところへ行って、神の広い大地を旅しようと思っています。そしていろいろな知識(ちしき)を身につけ、役に立つ経験(けいけん)をしたいのです。さばくでの一人ぼっちの暮(く)らしには、もううんざりしました。知らない土地で、豊(ゆた)かな知識や経験を身につけようと夢(ゆめ)見ているのです。」
それを聞いて男は、若者の勇気や立派(りっぱ)な目的に感心したので、かれをほめてからさらにこう言いました。
「若者よ、いくらでその家ちくたちを売るつもりですか?」
そこでサアドは、「人々が引き取りたいと思う値段(ねだん)で。」と答えました。
実はその時、男が乗っているしゅん馬が、サアドの心をとらえていたのでした。
そこでかれがそっとしゅん馬の方へ目をやると、男はそれに気が付いてこう言いました。
「家ちくの代金として800ディナール2ふくろを、この馬といっしょにあなたにあげましょう。あなたが夢(ゆめ)をかなえられるように願って。」
それを聞くとサアドは大喜びし、さっそくしゅん馬のつなとお金のつまった2つのふくろを受け取りました。そしてそのふくろを自分のやり入れの中につめこんで、男に別れを告げ、それから馬に乗って風のように走り去りました。
つづく
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