昔アラビアの国で、一けんの小さな家にあるベッドのかたわらに、神様を心からしんこうする一人の女性(じょせい)が座(すわ)っていました。そのベッドには、けっこんして何年もたってからやっとめぐまれた小さな赤ちゃんが横たわっています。
その子はかの女と夫の喜びであり、幸福そのものでした。
しかしその子はとても体が弱く、神様はその子の人生を病気がちなものに定められていたのです。
夫が仕事で遠出をしていたその日も、いつものようにかの女の赤ちゃんは重い病にかかっていて弱っていく一方で、一向によくなる気配がありません。とうとう日がしずむころには様子が変わってしまい、それから神様のもとにめされるまでに、そう時間はかかりませんでした。
かの女は、こよなく愛するその子が、神様のお定めによって、とうとうあの世へ旅立ってしまったことを知りました。
しかしこのそんなにつらい時でも、かの女は大きな悲しみに一生けんめいたえ、神様への強いおもいが弱まることはありませんでした。
神様の定められたことだけは、どんな者にもはね返すことができないということを、しんこう深いかの女はよく知っていたからです。
かの女は悲しみにたえながら、神様にめされたその子の体を洗(あら)いきよめ、きょうかたびらで包んで安置しました。するとちょうどその時、家の戸をたたく音が聞こました。
そこで、かの女がだれかとたずねると、それは長旅からつかれて帰ってきた夫でした。
かの女が夫を出むかえてあいさつをかわすと、夫は、旅に出る前にも病でぐあいが悪かった赤ちゃんのことを心配してたずねました。そこでかの女は、「あの子はもう安らかになりました。」とだけ答えました。
それを聞いた夫は、赤ちゃんが良くなってねむっているのだと思いました。そこでやっと安らかにねむれるようになった赤ちゃんを起こさないように、そのまま食事をすることにしました。
かの女は長旅でぐったりつかれて帰ってきた夫を思いやり、できるだけ悲しい顔を見せずに、夕食を用意しました。そして食べ終わると二人はねむりについたのでした。
やがて朝の礼拝(れいはい)の時間になり、二人は起きて神様においのりをささげました。
そしておいのりが終わると、かの女は夫にこう切り出しました。
「りんじんがわたしたちに預(あず)けた物を、わたしたちがうばってしまって返さないとしたら、どうかしら?」
すると夫は責(せ)めるようにこう答えました。
「もちろんいけないよ。預かり物なのに、どうしてわたしたちにそんなことをする権利(けんり)があるのだい?」
そこでかの女は息を整えてから静かにこう言いました。
「あの子の死については、神様にわたしたちの悲しみをゆだねましょう。あの子は神様からの預(あず)かりものだったのです。そして定めの時がきて、神様があの子をそのみ手にもどされたのですから。」
それを聞いた夫は、たった一人のわが子が神様にめされたことをさとり、大きなショックと深い悲しみを受けました。しかしかの女と同じようにしんこう深い夫は、<本当にわたしたちは、アッラー(神)のもの。かれ(神)のみもとにわたしたちは帰ります。>という神様のみ言葉をそっと唱え、あとはだまってその悲しみにたえたのでした。
やがてそれから数年がたち、神様はかれらに10人もの子どもたちをおさずけになりました。かれらはみな聖典(せいてん)の読み手となり、人々に尊敬(そんけい)される立派(りっぱ)な信者になりました。
たった一人のわが子をなくしたかれらが、決してなげかず、その大きな悲しみに一生けんめいたえたので、神様はこのように良くむくいて下さったのでした。
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