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それから2ヶ月ほどすると、アブー・スィールには仕事を再開するだけの体力がもどってきました。そこで、かれはまた床屋(とこや)として働く支たくをして市場へ向かいました。自分が食べていくだけのお金と宿屋の主人に支はらう宿賃(やどちん)をかせいで、何とか主人の親切にむくいなければならないのです。
市場の中を歩いていると、アブー・スィールは、色とりどりのあざやかな布(ぬの)が所せましとつるしてある一けんの店の前に差しかかりました。その店の前には人だかりができていたので、いったいその店に何があるのだろうか思い、アブー・スィールは人だかりの方へと近づいていきました。

そこでかれが目にしたのはおどろくべき光景でした! その大きな染(そ)め工場の中で、友人のアブー・キールがごうかなソファの上でふんぞり返り、かれの気をひこうとする客たちとやり取りしているではありませんか!
しかし、アブー・スィールは友の成功を見て喜びました。そして心の中でこのように言いました。
「こんな大きな工場を建てて商売を切り盛(も)りしていくために、かれはきっとたいへんだったのだ。そのせいでわたしのところへ帰ってこられなかったにちがいない。」
そこで、アブー・スィールは満面のえみをうかべて旧友のもとへ向かいました。しかしその時アブー・キールは旧友に冷たい視線(しせん)を送り、かれを指差し、おこってこのようにさけんだのです。
「このうすぎたないドロボウめ、よくもわたしの工場にまいもどって来られたものだ! 1度や2度なら、つまらぬドロボウなどいちいちとがめ立てなどしないのだが、3度目にはさすがのがまんももう限界だと、アッラーもご存じのはずだ。」
それからアブー・キールは使用人たちの方を向き、このようにさけんだのです。
「このどうしようもないおろか者を外へつまみ出せ! そして、今度またここに姿(すがた)を現(あらわ)したらどうなるか、少し思い知らせてやるがいい。」
こうしてかわいそうなアブー・スィールはとらえられてしまいました。そして、道ばたへ引きずっていかれた上、さんざんになぐられたのです。
なぐられて気を失っていたアブー・スィールは、昼下がりになってようやく目を覚ましました。しかしその心はみじめに傷つき、頭から足まで全身ドロだらけでした。
それで、かれは蒸気(じょうき)風呂のハンマーム(公衆浴場)に行って全身の痛(いた)みをやわらげ、元気を取りもどしたいと思いました。
それからアブー・スィールは、通りかかりの人にハンマームへ行く道をたずねました。するとその男がおどろいて、「ハンマーム? それはいったい何のことだね?」ときき返すので、アブー・スィールはこのように説明しました。
「それは、熱いお湯や水の風呂で体を洗うところのことで、人々はそこでさっぱりして清潔(せいけつ)になるのです。それから、ハンマームには熱い蒸気の部屋もあって、時おりそこでくつろいだりもします。」
すると、男はこのように言いました。
「それなら海へ行きなさい。ここではみな‐国王陛下(へいか)でさえ‐、体を洗いに海へ行くのですから。」
それを聞いて、アブー・スィールはとてもおどろきました。こんな大きな町にハンマームが1つもないなんて! そこでかれはハンマームの建設を提案するために、王のもとをおとずれることにしました。
翌日、王は快(こころよ)くアブー・スィールと面会しました。そして王がハンマームとその効用についての説明に耳をかたむけていると、最後にアブー・スィールはこのように言いました。
「……つまり、国王陛下(へいか)、ハンマームは人間の暮(く)らしにとって最も重要なものの1つなのでございます。ハンマームを備えない町は真の大都市とは言えません。」
すると、王はこのようにこたえたのでした。
「それならば、この町のほこりとなるようなハンマームを建てるがよい。すぐに仕事に取りかかりなさい。我(われ)らがそのために必要な費用や援助(えんじょ)を提供しよう。」
それから数週間もたたないうちに、アブー・スィールはさまざまな設備を整えたごうかなハンマームを経営するようになりました。そして開業初日から団体客や個人の客でハンマームはすぐにいっぱいになりました。みな、今まで体験したことのない快適さを味わおうとつめかけたのです。
アブー・スィールは自分のハンマームを、びんぼう人と金持ちの区別なく、すべての人々に開放しました。みな自分がはらえるだけのお金をはらえば、だれでもハンマームを利用できるようにしたのです。そのため、人々はみなアブー・スィールの親切に感謝(かんしゃ)し、気前のよい人々はおしみなく多くの金を支はらいました。そして、王はその中でも最も気前よく支はらい、週に一度は必ずハンマームをおとずれました。

やがてハンマームは町中の評判(ひょうばん)となり、アブー・キールの耳にもそのうわさが届(とど)くようになりました。そこでアブー・キールはある日、ロバにまたがり、召使(めしつか)いたちに囲まれてハンマームへと向かいました。そして、ハンマームのサロンで客たちに応対するアブー・スィールの姿(すがた)に、かれはどれほどおどろいたことでしょうか!
すると、かれはさっそくアブー・スィールに近づいて行き、なじるような調子でこのように言ったのです。
「わが親友よ、きみはこんなところにいたのか! こんなに長い間、きみはこのあわれな親友、アブー・キールを忘れていたのかい?!」
そこでアブー・スィールは、前に染(そ)め工場でかれに会った時に、アブー・キールにひどいあつかいを受け、ぶじょくされた上にさんざんなぐられたことにふれました。するとアブー・キールはあわてた様子で顔を赤らめ、このように言ったのでした。
「そんなこと覚えていないよ。もしそうだとしたら、わたしはだれかとまちがってきみをドロボウだと思いこんだにちがいない。きっときみは病気のせいで、その時、様子が変わってしまっていたのさ。きみの方からわたしのかんちがいを気づかせてくれればよかったのだ。だからきみだって責められてもしかたがないだろう?」
アブー・スィールはだれに対してもにくしみを持たないやさしい性格でした。それでかれは浴場で自らアブー・キールの世話をしました。かれの体を水と石けんで洗い、香油でオイルマッサージをし、かれが蒸気(じょうき)風呂や水風呂から出てくると、すぐに熱いタオルを手わたしました。
それから2人は、おたがいの成功への道のりや、そのために王から受けた恩けいやかん大さについて話しました。しかし、アブー・キールは友人の話を聞き、かれが王のもとで自分と同じように恩けいを受けたことががまんならなかったのです。そこでかれのあくどいたましいは、この旧友をおとしいれるためのある計略を思いついたのでした。
アブー・キールは作り笑いをうかべ、まるでアブー・スィールを応えんするようにこう言い出しました。
「きみのハンマームには1つだけ足りないものがあるよ、アブー・スィール。きみは松の油脂(ゆし)とレモンオイルで作られたあのクリームを覚えているかい? アレキサンドリアのハンマームでマッサージによく使っていたじゃないか。
国王陛下(へいか)は風呂上りにあのクリームで体をマッサージされるのがとてもお好きなのだよ。だからきみがここでそうして差し上げれば、陛下はきっときみに感謝(かんしゃ)することだろう。」
それを聞くと、アブー・スィールははげまされた気持ちになり、かれにこのように言いました。
「本当だ、それはとてもいい考えだね。さっそくあのクリームを用意して、陛下が、この次、訪(たず)ねてくださった時にお見せしよう。」
それからアブー・キールはハンマームを出るとすぐに王の宮殿(きゅうでん)へと向かいました。そして王との面会を許されると、はやる気持ちをおさえて王にこのように言いました。
「国王陛下(へいか)、今日わたしが参りましたのは、あの新しいハンマームの主人にお気をつけになるよう、陛下にご忠告(ちゅうこく)するためでございます。わたしはあの男を昔からよく存じております。実はかれは、あなたの敵たちがあなたを暗殺するために送り込んだ男なのでございます。
陛下にあのように多くの恩けいをいただき、ご信らいを受けていながら、かれはそのいんぼうを止めるつもりはないようです。そこでわたしはかれをだましてかれからうまく話を聞きだし、あなたを暗殺するための計略を聞きだして参ったのでございます。」
それを聞くと王は大きくうなずいて身を乗り出し、「それで、それはどんな計略なのだ?」と問いました。そこで、アブー・キールはこのように言ったのです。
「この次、陛下がハンマームへお出かけになる時、アブー・スィールは陛下のお体をマッサージするのだと言って、にせ物の松のクリームを見せるでしょう。実はそれはどんな治りょうも効かないもう毒で、それを体にぬりこんで3日ほどすると、毒が皮ふから心臓まで焼きつくして死んでしまうのです。
そしてそのころには、すでにいんぼう者はこの岸辺からはるか遠くへととうぼうしてしまっているので、どんな正義もおよばない、という計略なのです!」
王はアブー・キールの警告を真けんに受け止めました。そしていつもどおりにその週もハンマームをおとずれ、アブー・スィールがマッサージ用のクリームを見せるやいなや、王はかれをとらえてろう屋へ投げこむよう、家臣たちに命令したのでした。
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